福岡高等裁判所宮崎支部 昭和32年(ナ)2号 判決 1958年9月11日
原告 奥山恒満 外二十九名
被告 鹿児島県選挙管理委員会
主文
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
原告ら訴訟代理人は、「昭和三一年九月二日施行された名瀬市議会議員選挙の選挙の効力に関し訴願人恵重二が提起した訴願に対し、被告が同三二年二月二日にした右選挙を無効とするとの裁決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求原因として、
一、原告らはいずれも昭和三一年九月二日に施行された名瀬市議会議員選挙(以下本件選挙と略称する)における選挙人でかつこれに立候補し、別表第二記載のとおり有効投票多数をえたものとして当選人と決定されたものである。
二、ところが訴外恵重二は本件選挙の効力に関し同年九月一七日名瀬市選挙管理委員会(以下市委員会と略称する)に対し異議の申立をし、同年一〇月二〇日市委員会から右異議の申立を棄却するとの決定を受くるや、更に同年一一月九日被告たる鹿児島県選挙管理委員会に対し訴願を提起した結果、被告は同三二年二月二日市委員会の右決定を取り消し、本件選挙を無効とするとの裁決をし、同日その要旨は告示された。
三、しかし右裁決はその理由において、以下叙述するような事実の誤認、法令解釈適用上の誤謬を包蔵するものであるから、違法として取消を免れない。
(一) 裁決理由のその一は、「市委員会は本件選挙を管理執行するについて、選挙人本人以外の者に自由に投票所入場券を交付し、また他市町村に転出したと表示されている選挙人にこれを発行した事実があり、それだけでは直ちに違法といえないにしても著しく妥当性を欠くものであるから然る以上後行行為たる選挙人確認手続においては特段の注意がなさるべきであつたのに、事茲に出なかつた」というのである。
しかしそのような事実は存しない。というのは市委員会は昭和三〇年九月一五日現在により基本選挙人名簿を調製していたところ、昭和三〇年一〇月一四日及び同年一二月三日の相次ぐ大火災により選挙人の住所の移動が甚しかつたため、昭和三一年七月八日参議院議員通常選挙を施行するにさきだち、一応その整理を実施したが、その後都市計画の執行により選挙人の住所の移動は益々甚しさを加えるに至つたので、市委員会においては来るべき本件選挙において選挙人に投票所入場券を配布する際支障困難の生ずることをおそれ、或は住民登録関係書類により、或は実態調査により選挙人の住所移動の状況を把握し、これを右選挙人名簿上に符箋を以て整理して明確にしておいた。そして本件選挙に際しては、これに基き事務員五名をして適確に投票所入場券を作成させた後、一七名を使用してその配布にあたらせ、配布先不明のため市委員会に返戻された分については、或は広報車或は宣伝マイクを用いて投票日前に市委員会事務局に出頭してその交付を受けるように周知徹底させ、これに応じて出頭した者に対しては専任の事務員三名が尋問して本人であることを確認した上で、あらかじめ各町別に区分しておいた未配布の入場券を交付したものである。このように市委員会の投票所入場券の処理は用意周到適切妥当であつて、裁決で認定されたような非難せらるべき点は毫末も存しない。
(二) 裁決理由のその二は、「市委員会はすでに他の市町村に転出して本件選挙権を失い且つ投票当日名瀬市内に現在しなかつた者三名の投票所入場券を配布し、しかも投票当日選挙人名簿との対照確認の手続を怠つたため、実際においてはその三名の投票が行われたことになつている。かくの如きは公職選挙法施行令第三五条第一項の規定に違反する管理執行行為である」というのである。
しかしそのような事実もまた存しない。なぜならば市委員会が選挙人の住所移動の整理並びに投票所入場券の処理について最善を尽したことは(一)に述べたとおりであり、選挙人名簿上転出者として整理された者に対し、市委員会の係員が故意に或は過怠により投票をさせた事実は全くない。たゞ人のしたことであるから、仮にその間二、三の転出者にして選挙人名簿上未整理のまゝ残存していたため、その者の投票所入場券を取得した何人かがこれを奇貨としその者の名義で投票したことがあろうとも、その投票はいわゆる詐欺による潜在的無効投票たるにとゞまり、これをしも選挙の管理執行上の違反行為として本件選挙の無効原因にかぞえることはできない。
(三) 裁決理由のその三は、「本件選挙において第一投票所に一時に多数の選挙人が殺到して受付の順位を競い、受付係の机上に投票所入場券一〇数枚が積み重ねられたので、市委員会書記長は該投票所入場券を夫々選挙人の手に返戻した後、選挙人を男女別に整列させてその確認を行つたというが、そのことだけで該投票所入場券がすべて真実これを提出した選挙人の手中に復帰し、選挙人と選挙人名簿との対照が間違なく行われたとする証拠を見出しえない」というのである。
しかしこのような場合市委員会書記長の執つた措置は極めて適切妥当であつて毫も非難に値いするものではなく、該措置に対し異議を申出た選挙人は全くなく平静円滑裡に選挙人名簿との対照確認手続が進行したことは、現場に居合せた選挙関係係員や多数の選挙人のひとしく目撃するところであつて、被告の認定は調査の疎漏に基因する事実誤認も甚だしいものである。
このように本件選挙において市委員会にその管理執行上選挙の結果に異動を及ぼす虞のある選挙規定違反の事実は毛頭なく、被告の裁決こそ違法として取消を免れないものといわなければならないので、本訴請求に及んだと陳述し、
被告の答弁に対し、
一、本件選挙における名瀬市議会議員の定数、投票区並びに開票区の数、市委員会の選挙人名簿に対する符箋整理の方法、市委員会が昭和三一年七月五日附市委員会告示第一一号、同年九月一日附同第四一号、同年一一月二四日附同第五五号を以て基本選挙人名簿の修正告示をしたこと及び同年三月頃から同年八月末頃に至る間の符箋整理の経過、本件選挙における名瀬市第一及び第二各投票区の投票に関する調書における選挙人の失格者数、右各投票区の基本選挙人名簿に現存する青並びに赤符箋の数が夫々被告主張のとおりであることは認める。
二、しかし市委員会が昭和三一年一一月三〇日に執行される参議院議員補欠選挙と同年九月一五日現在でもつて次年度の基本選挙人名簿を調製するための準備として、本件基本選挙人名簿の符箋整理を実施したのは、被告主張の如く同年一〇月以後のことではなくて、本件選挙終了直後の同年九月五日頃から同年一〇月中旬頃に至る間のことである。
三、次に被告は第一投票区の選挙人中島輝光、第二投票区の選挙人松崎ケイ、松崎敏子以上三名にかかる転出済の符箋整理は本件選挙の投票日以前にすでに完了していたと主張するが、そうではなく本件選挙終了後の前示期間になされたものである。というのは被告はその論拠として、右三名が名瀬市から転出したのは投票当日より約四ケ月もさかのぼる同年五月のことであり、市委員会の本件選挙前における符箋の整理の状況が確実且つ整然としていることのほかに、基本選挙人名簿の符箋から算出した本件選挙の投票当日における第一投票区の女子、第二投票区の男子の失格者の数が、投票に関する調書の当該失格者数と合致することを挙げているが、これはいずれも間違つている。なぜならば市委員会の職員は少数且つ不馴れであるから、仮に前記三名が名瀬市役所戸籍課備付の転出者処理簿に当時転出の旨登載されていたとしても、これを遺漏なく転写し来り、直ちに基本選挙人名簿にそのとおり符箋整理を了していたとは断定できないし、さきに述べた名瀬市民の住所移動の激化に基因する市委員会の選挙人名簿整理事務の繁雑さのため、その間多少の不備遅延を免れなかつたのであつて、これは被告も挙示しているように、本件選挙の投票当日以前にすでに転出者として修正告示を終えながらなおその者の青符箋が選挙人名簿の上から除去されずに貼付されたままになつているものがあることからも窺い知ることができる。しかして市委員会が実際本件選挙における投票に関する調書を作成する際、失格者の数は当時選挙人名簿上に貼付してあつた符箋の数を集計して算出したのであるから、現在選挙人名簿上に存する昭和三一年九月一日以前の転出日が記入されて貼付してある青符箋が、すべてその転出日当時整理貼付されたものと仮定して、これから前記修正告示を了しながら除去されずに貼付したままになつている青符箋の数を差引くのは誤りであり、これを差引かなければ(第一投票区の女子、第二投票区の男子の失格者の数も選挙人名簿と投票に関する調書とで一致しなくなるが)第一投票区の男子失格者数は計一二一名となつて投票に関する調書の一一五名より六名多くなり、第二投票区の女子失格者数も計一一六名となつて投票に関する調書の一一四名より二名多くなり、仮にこれを差引いても第一投票区の男子失格者数はなお二名過剰(第二投票区の女子失格者数は却つて二名足らなくなるのは不可解である)となる。こうみてくると男子における六名或は二名、女子における二名の過剰は、その者の青符箋が本件選挙終了後に及んで整理されて貼付されたによるものと解せざるを後ないのであつて、男子の青符箋中には中島輝光のものが含まれ、女子の青符箋は松崎ケイ、松崎敏子のものを指すものと思われる。更に百歩を譲つて右三名の青符箋整理が本件選挙の投票当日以前にすでになされていて、市委員会の係員がその事実を知りながら、右三名の名義による投票をさせた事実があるとしても、これによる潜在的無効投票は特定し得べき右三票に過ぎないから、そのため本件選挙における最下位当選人滝武英の当選に異動を生ずることはあり得ても、本件選挙全般の効力にはすこしも影響を及ぼすものではない。従つて右三票の存在は滝武英の当選無効の原因となるは格別、本件選挙の選挙無効の原因とはならないと解すべきである。
四、更に被告は第一投票区において選挙人と選挙人名簿との対照確認の手続が投票立会人の面前で行われていないことを挙げて公職選挙法施行令第三五条第一項の規定に違反した管理執行行為であるというが、仮にそのような事があつたとしても右法条はいわゆる馴示的規定とみるべきものであるからその違反は直ちに本件選挙の選挙無効を招来するものではないと述べた。
(立証省略)
被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として、
一、原告らの請求原因たる事実中、一、二及び三の(一)のうち市委員会が本件選挙に際し選挙人名簿の整理に腐心したこと及び一応の注意のもとに選挙人に対する投票所入場券を作成してこれを配布或は交付(但し未配布入場券の交付事務に従事した事務員は四名である)したことは争わない。なお名瀬市議会議員の定数は三〇名である。
二、ところで市委員会における選挙人名簿の整理は、名瀬市から他の市町村に転出した者(本件の如き地方公共団体の議会の議員の選挙においては、かゝる転出者は公職選挙法第九条第二項にいわゆる住所要件を充足しない者として、選挙権を有せず、失格者として取扱われる)については、青符箋に転出月日転出先等を記入し、また選挙人名簿に二重に登載されている者(これも二重投票防止の観点からその一は失格者として取扱われる)については、赤符箋にその旨記入し、更に名瀬市の区域内においてたゞその住所を移転したにすぎない者については、白符箋にその移転先を記入し、これらの符箋を選挙人名簿の当該選挙人の氏名欄の上に貼付するとうい方法を執つていたので、かりそめにも青符箋の貼付してある選挙人にあてて投票所入場券を発行することはもとより、該入場券を提示した者に投票させることは本来許されないところである。然るに被告が調査した結果によれば、現在基本選挙人名簿上第一投票区の選挙人中島輝光、第二投票区の選挙人松崎ケイ及び松崎敏子の三名(そのほか第三投票区の選挙人山田吉秋についても調査したが結果は確認できず、その他の投票区―本件選挙において投票区は一二区に分れていた。―については調査をしなかつた)については名古屋市転出(昭和三一年)五月四日中島輝光、春日井市転出(同年)五月八日松崎ケイ、松崎敏子と記入した青符箋が夫々貼付されているに拘らず、その実右三名にあてた投票所入場券が発行配布されていて、しかも右三名の名義による投票が行われたことになつている。そこで問題となるのは、右青符箋が貼付された時期が右転出当時遅くとも本件選挙の投票日以前であるか、或はその後であるかであるが、被告は次の理由により右青符箋にいずれも本件選挙の投票日以前に貼付されていたものと考える。
すなわち
(一) 市委員会は前示方法による符箋整理を本件選挙前においては、名瀬市の二度の大火による市民の住所移動を実態調査した上昭和三一年三月項に、次に同年七月八日施行の参議院議員通常選挙に備えて同年六月中旬頃に、更に本件選挙に備えて同年八月末頃に各実施し、本件選挙後においては同年一一月三〇日施行の参議院補欠選挙と同年九月一五日現在でもつて調製すべく義務づけられている次年度の基本選挙人名簿調製の準備として同年一〇月頃に行い、かつその間公職選挙法の規定に基き名簿を修正したものについては同年七月五日附同委員会告示第一一号、同年九月一日附同第四一号、また同年一一月二四日附同第五五号を以て各修正告示を了しており、このような整然たる整理経過に徴すれば、その間符箋整理の遺漏或は遅滞が介在していたとは到底考えられない。殊に右三名が名瀬市外に転出したのは同年五月中のことで、本件選挙の期日までに四ケ月もの期間があり、その間二度にわたる符箋整理の機会に看過放置されたことは想像できない。
(二) 市委員会が青符箋整理の資料にしたという名瀬市役所戸籍課備付の転出者処理簿は、同課登録係において転出証明書を発行交付したものを住民登録票とつき合せ転出日別に転出者が一目で判然するように整理して記録されており、現に中島輝光は昭和三一年五月四日の欄に名古屋市に向け転出と、また松崎ケイらは同月八日の欄に愛知県春日井市に向け転出と前住所も併記して記録されており、夫々その日に転出証明書が交付されていることが判るので、これは資料とする以上その頃選挙人名簿の右三名の欄に青符箋を貼付するのを遺忘することはあり得ない。
(三) 本件選挙における名瀬市第一及び第二投票区の投票に関する調書によれば、右両投票区の基本選挙人名簿に登載された選挙人中失格者の数は第一投票区は男一一五名女一〇八名計二二三名、第二投票区は男八九名女一一四名計二〇三名となつているところ、右各投票区の基本選挙人名簿に現存する符箋を基礎にその失格者の数を算出してみると別表第三のような結果になり、第一投票区の女と第二投票区の男の失格者の数は前記調書のそれと一致することに徴しても、右表の計算の前提となつているところの昭和三一年九月一日以前の転出日が記入してある青符箋がすべて本件選挙当時既に整理貼付済みであつたという事実に間違いはない。
(四) 市委員会において符箋整理に従事したという臨時雇の本件選挙後における雇傭状況からすれば、市委員会が本件選挙後符箋整理を行つたのは、前記の如く昭和三一年一〇月、早くても同年九月下旬以降と思料されるのに、訴願人恵重二が同年九月一九日市委員会事務室において本件基本選挙人名簿を調査した当時、すでに右三名の青符箋が貼付してあつたというのであるから、この事実から考えても右三名の青符箋は本件選挙前に整理貼付してあつたものと推知できる。
三、そうすると市委員会が基本選挙人名簿上転出者としての青符箋が貼付されていた前記三名にあてて投票所入場券を発行配布すること自体が極めて不当であるが、この瑕疵は若し後行行為である投票当日の選挙人確認の際に充分注意さえすれば容易に除去し得たであろうに、本件選挙係員は茲に出ずして投票当日右三名の氏名を称する者がその投票所入場券を提示したのに対し、基本選挙人名簿と確実に対照しその確認をなすべきに、これを疎漏にし、漫然その者に投票用紙を交付した結果、遂に正当な選挙人でない者をして三票の不正且つ無効な投票をなすに至らしめたのであり、かくの如きは選挙の公正な運営に対し払拭できない疑惑を投ぜしめることは疑う余地はなく、選挙の管理執行上遵守すべき公職選挙法施行令第三五条第一項に違反することは明かである。しかも本件選挙における最下位当選人滝武英の得票は次点者村田幸夫、中熊豊志と同数の二七二票であつたから、若し市委員会の本件選挙の管理執行がすべて適正に行われ、かゝる不正無効な投票を防止し得たならば、選挙の結果に異動を生じたであろうことは容易に察知することができる。これに対し或は右三票の存在は、単に潜在的無効投票として滝武英の当選の効力に影響あるに過ぎないという見方もあろうが、公職選挙法第二〇九条の二の規定は選挙が有効に行われたことを前提として当選に関する争訟が提起された場合に適用されるものであつて、本件の如き選挙の効力自体がまづ争われている場合にはこれを適用する余地はないものと解するのでその見解は正しくない。そのほか本件選挙において第一投票所での選挙人と選挙人名簿との対照は投票立会人の面前においてなされていないので、これまた公職選挙法施行令の前同規定に違反するものである。このように市委員会の本件選挙の管理執行には違法の点があり、しかも本件選挙の開票区が全市一区であることからすれば、右の違法は分別できず結局本件選挙全体の結果に異動を及ぼす可能性があるといわなければならないから、選挙の自由公正を尊重する限り、本件選挙は全部無効とするのが当然である。然らば被告のした裁決は相当であり、その取消を求める原告らの本訴請求は理由がないと述べた。
(立証省略)
理由
昭和三一年九月二日定員三〇名の名瀬市議会議員を選出するための選挙が、全市を一二投票区、一開票区として施行されたこと、右選挙において原告らがいずれも選挙人で且つこれに立候補し、別表第二記載の得票を以て当選したこと及び右選挙の効力に関し訴外恵重二が同月一七日市委員会に異議を申立て、同年一〇月二〇日市委員会から右異議の申立を棄却するとの決定を受くるや、更に同年一一月九日被告に訴願を提起し、その結果被告が同三二年二月二日市委員会の右決定を取り消し、本件選挙を無効とする旨の裁決をし、同日その要旨を告示したことは、当事者間に争いがない。
一、そこで先づ右裁決の理由となつた被告主張の如き選挙の管理執行に関する規定違反の事実があつたか否かについて、以下順を追つて検討する。
(一) 裁決理由の一及び二について、
(1) 市委員会が昭和三〇年九月一五日現在を以て調製しておいた基本選挙人名簿が、同年一〇月一四日及び一二月三日の相次ぐ名瀬市の大火災とこれにひき続いて執行された都市計画に基因する名瀬市民の住所移動の激化に伴い、緊急整理の必要に迫られた結果、市委員会が昭和三一年三月頃実態調査を行つて一応これを整理し、ついで同年六月頃には翌七月八日に施行される参議院議員通常選挙に備え、更に同年八月頃には翌九月二日に施行される本件選挙に備えて、その整理を行いその間同年七月五日附同委員会告示第一一号、また同年九月一日附同第四一号を以て公職選挙法所定の名簿修正の告示をしたこと、そしてその整理の方法として、市委員会は選挙人中名瀬市から他の市町村に転出した結果本件の如き地方公共団体の議会の議員の選挙においては同法第九条第二頃に規定した住所要件を欠くことになつて選挙権を失うに至つた者については、青符箋にその転出日時、転出先等を記入し、また選挙人名簿に二重に登載されたため誤載の方を同様失格者として取扱うべき者については、赤符箋にその旨記入し、更に名瀬市の区域内において単にその住所を移転したにすぎない者については、白符箋にその移転先を記入し、これらの符箋を選挙人名簿の当該選挙人の氏名欄外上部に貼付するという方法によつていたことは当事者間に争いがなく、証人名富清彦(第一回第二回)、保坂英次(第一回第二回)、森下武好、吉村高子の各証言を綜合すると、市委員会は青符箋を貼付すべき転出者の氏名、転出日時、転出先等は時に実態調査によるのほか原則として、先づ市委員会の事務員が名瀬市役所戸籍課に備え付けられている住民登録台帳の転出者を月別に纒め上げた転出者処理簿からこれを転写して来て、これによつて有権者世帯名簿のうちから当該転出者を摘出して抹消し、次に青符箋を作成して選挙人名簿に貼付し、その後に有権者カードを差替えるという順序をとつていたことが認められる。
(2) そこで先づ市委員会の投票所入場券の発行配布の状況についてであるが、本来右入場券は公職選挙法施行令第三一条第一項においてこれを発行交付することが勧奨されているが、その交付の方法について別段の規定は存しないところ、証人名富清彦、保坂英次(以下各第一回)、稲いさ子、盛節子、吉村高子の各証言を綜合すれば、市委員会は本件選挙にあたり右入場券を発行交付することとし、昭和三一年八月初頃から同月二〇日頃までの間にこれを作成したが、その作成にあたつては市委員会書記長名富清彦が委員長の命をうけ、これに従事する保坂英次ら五名の臨時職員に対し選挙人名簿に青及び赤の符箋の貼付してある者については、絶対に入場券を作成しないように、また白符箋の貼付してある者については、その移転先の住所を入場券の右上欄外に附記するよう指示し、常に市委員会事務室に同席して注意監督しながら夫々分担作成させ、かくしてできあがつた入場券は有権者世帯名簿と対照し世帯別にまとめて各町ごとに一束とした上、別に臨時に雇い入れた事務員に対し間違いのないよう注意して、二日間にわたり市内三一町の選挙人に対し一斉に配布させたこと、ところが前記事情により配布先が判らずに同月二五日頃市委員会に返戻された入場券が相当数に上つたので、同書記長は市広報車、宣伝ラヂオ或は新聞を利用して、未だ入場券を受領していない選挙人は、選挙の前日までに市委員会事務室に本人自ら出頭してこれを受領するように周知させ、かくて出頭した者に対しては保坂英次ら四名の臨時職員をしてあらかじめ整理させておいた右入場券を住所、生年月日等を尋ねることによつて選挙人本人であることを確認した上、交付するように指示し、右職員も概ねこれに従つて処理したことが認められる。もつとも証人盛節子の証言の一部には、選挙人名簿に基き作成した入場券のうち配布に廻すため有権者世帯名簿と対照したところ、それに転出者と表示されてあつたものが存在していたことが窺われるが、同時にそのような入場券は直ちに破棄し配布するに至らなかつたことが認められるので問題とするには及ばないし、また証人名富清彦(第一回)の証言の一部には、補充選挙人名簿に登載された選挙人にあてた入場券中未配布のもの若干を立候補者自身が受領のため出頭したのに対し、これを交付した事例のあることが窺われ、かくの如きは妥当を欠いだ交付方法であることは否定できないが、そのため該入場券が選挙人以外の者の手中に帰したと認むべき確証もないので直ちに以て選挙の管理執行の規定に違反したものとはいえない。その他右認定に牴触する証人田原一の証言、証人永井彦一郎、別府治郎、松元照枝の各証言の一部は信用しない。そうすると市委員会の投票所入場券の発行配布の手続は一応適正に行われたものということができる。
(3) しかしおよそ入場券なるものは、これを投票当日に携行提出する者は該入場券に記載された選挙人本人であることの一応の推定を受けるとはいうものの、依然それは選挙人確認方法のうち便利な一方法であるというだけであつて、決して唯一完全な方法ではないから、次に本件選挙において投票当日投票所入場券を携行提出した者を選挙人名簿と対照し、その違挙人本人であることを確認する手続が現実に適法に行われたかどうかを検討しなければならない。
さて成立に争いのない乙第六及び第七号証の各一乃至四の記載内容に証人別府治郎、松元照枝の各証言竝びに検証(投票所入場券、基本選挙人名簿)の結果を綜合すると、本件選挙における第一投票区の選挙人中島輝光は昭和三一年五月四日に名古屋市に、また第二投票区の選挙人松崎ケイ及び同敏子の両名は同月八日愛知県春日井市に各転出し、当時夫々転出証明書の交付を受けて前記転出者処理簿に整理記録されており、投票当日も名瀬市の区域内に住所を有していた事実はなく、現在基本選挙人名簿の右三名の氏名欄外上部にはいずれも右各転出日時、転出先を記入した青符箋が貼付されて存在しているのに、現実においては、右三名にあてた本件選挙の投票所入場券が市委員会から発行されていて、しかも投票当日中島輝光の分は第一投票所である名瀬市役所において、松崎ケイ同敏子両名の分は第二投票所である名瀬小学校において夫々受付けられ、選挙人名簿との対照を経て投票用紙の交付を受け投票を了した結果になつていることが認められる。そこで問題は右青符箋三葉が右転出の当時、遅くとも本件選挙の投票日の前に貼付されていたかどうかであり、これによつて市委員会の投票当日における選挙人確認手続上の瑕疵の有無が判定される。そこで被告は昭和三一年九月一九日に訴願人恵重二が本件基本選挙人名簿を調査した際既に右青符箋三葉はいずれも貼付されてあつたが、本件選挙後における残務整理や臨時雇の雇傭状況に鑑み、本件選挙終了後右同日までに該符箋を貼付したとは考えられないというが、乙第四号証の一乃至三の記載内容及び証人恵重二、田原一の各証言は、恵重二が市委員会に提出した本件選挙の効力に関する異議申立書(甲第四号証の一、昭和三一年九月一七日附。同日市委員会受付)及びその補充書(同号証の二、同年九月一一日附とあるも前後の関係から右日附は誤つているものと認める。同年一〇月一二日市委員会受付)において、その当時右青符箋の存否について全く言及していないことからみても、たやすく信用できないし、却て成立に争いのない甲第二号証、同第三号証の一乃至二三の記載内容に証人名富清彦(第二回)、吉村高子の各証言を綜合すれば、市委員会の臨時事務員である吉村高子は本件選挙の終了後である昭和三一年九月五日頃書記長名富清彦からさきの選挙において転出者処理簿の転写について脱漏があつたと指摘されたのと、同月一五日現在でもつて次年度の基本選挙人名簿を調製する必要から、同月五日頃からはひとりで、同月中旬頃から同月末頃までは臨時事務員奥田安良、盛節子、稲いさ子、保坂英次を加えて計五名で本件基本選挙人名簿の符箋整理にあたつた事実が認められる(転写洩れはあり得ないという証人保坂英次(第二回)、森下武好の各証言は右に徴し信用できないし、証人名富清彦(第一回)の証言中該符箋整理の始期が同年一〇月初頃という部分は右認定にてらして言い誤りとみとめる)ので、そうすると或はその機会に右青符箋三葉が貼付されたと推測できないこともないから被告の右主張を採用して右青符箋三葉の整理貼付が本件選挙の投票日以前にすでに完了していたと推断することはできない。次に被告は前記三名の転出はいずれも本件選挙の投票日より約四ケ月も以前の同年五月中のことであり、しかもその転出の事実が前記の如く転出者処理簿に一目瞭然と整理記録されているので、これを転写する限り右転出の事実がその後同年六月及び八月の二回にわたる符箋整理の機会に看過され本件選挙の投票日までそのまゝ放置されるとは、市委員会の符箋整理の一般的状況が前記のように整然たる経過を辿つていることに徴しても到底想像できないし、更に本件基本選挙人名簿上に現存する昭和三一年九月一日以前の転出日時を記入した青符箋をすべて投票日以前に貼付されたものとして失格者を算出すれば別表第三のようになり、第一投票区の女、第二投票区の男の失格者の数が、本件選挙当時作成された投票に関する調書のそれと一致するに至ることからみても、右計算の前提事実は正当であるというが、転出者処理簿から転出者を転写するにあたり脱漏のあつたことは証人吉村高子の証言ばかりでなく、証人名富清彦(第一回)、森下武好の各証言から認められる市委員会の専任職員が少数で他は臨時に事務員を雇い入れて符箋整理事務に従事させていた実情からも想像できないところではないし仮に転写に脱漏がなく転写したところに従つて先づ有権者世帯名簿に転出者としての表示を完了したとしても、これに続いて直ちに選挙人名簿に青符箋整理が実施されるとはいえず、時にその間遅延或は遺脱の事実が存しうることは、証人盛節子、名富清彦(第一回)の各証言からも推認できるし、また被告の採つた失格者の算出方法によつても、中島輝光にかゝる第一投票区の男子、松崎ケイ同敏子にかゝる第二投票区の女子の失格者の数が、投票に関する調書のそれに一致しないことは被告自身認めているところであるから、それだけでも被告が計算の前提とした事実がそのとおり正当であると断定するのは早計である。寧ろ証人盛節子(中島輝光の投票所入場券を作成した者)の証言によれば、同証人がこれを作成する当時中島輝光について青符箋は貼付されていなかつたというのであり、また証人四本栄雄、河内嘉(以上第一投票所受付係)、永井彦一郎、伊東清一(以上同投票所名簿対照係)、松江達二、岩田健三(以上第二投票所受付係)、作田武夫、森光彦(以下同投票所名簿対照係)の各証言によれば、同証人らは本件選挙の投票日の一両日前市委員会の名富書記長から一般的注意も受けけ、それ故に受付或は名簿対照の順序方法及びその職務の重要性について充分認識して、熱心且つ正確に執務したので、若し前記青符箋が投票の当日すでに貼付してあれば当然これに気付く筈であるのに、支障なく各係を通過したことからすれば、それはその当時は未だ貼付されていなかつたと考える外はない(右証人中松江達二、森光彦の両名は松崎ケイ同敏子の青符箋は当時貼付されていなかつたとさえ断言している)というのであり、以上多数の係員の何人の目にも触れ得ない青色の符箋が存在するということこそ、経験則に徴し容易に納得できないところである。このように右青符箋三葉が投票当日すでに貼付されてあつたと断定できる証拠のない以上、市委員会の日常の事務処理の不完全を非難することは格別、これが貼付されてあつたことを前提として市委員会に本件選挙における選挙人確認手続上違法があつたと主張することは許されないものといわなければならない。
(二) 裁決理由の三について、
(1) 本件選挙の投票当日第一投票所たる名瀬市役所の玄関張出屋根の下に設けられた旧金久区の受付係のところに一時に多数の選挙人が殺到し、受付の順位を争つて受付係の机上に投票所入場券一〇数枚を積み重ねるという事態が発生したことは、弁論の全趣旨に徴し認めることができる。
(2) しかし証人名富清彦(第一回)、浜田光豊、元倉盛忠、西村貞治の各証言に検証(第一投票所)の結果を綜合すると、当初旧金久区の受付係は西村貞治、元倉盛忠の両名が一個の机を使用して執務していたが、市委員会書記長名富清彦は同日午前九時頃同所を巡回した際選挙人が多数来集するので手不足であると考えて浜田光豊を増員して三名で受付けさせ、その後再び同所に来たところ、受付係の机上に入場券が一四・五枚積み重ねられているのを発見し、同書記長は直ちにこれを取り上げ、大声で一人宛入場券記載の氏名を呼び上げてこれを返戻したが、その際呼び上げられた者以外の者に返戻したことはなく、また選挙人中より自分の入場券がなくなつたという申出は全くなかつたこと、このようにして返戻した後同書記長は机を更に二個取寄せて受付係の席を男女に分け、西村、元倉の両名を女、浜田と一時増員した市委員会の事務員奥田某を男の各受付係とし、基本選挙人名簿を男女に分冊して交付し、選挙人も男女別一列に整列させて再び受付を開始させたこと、その後は受付事務は円滑に進行し以前の混乱を再び繰返すようなことはなかつたことが認められ、これを覆えすべき証拠は全くない。しからば同書記長のかゝる措置は時宜を得た適正妥当なものといわなければならないし、これに対し選挙の管理執行上の違法を主張するのはあたらない。
このように被告が選挙無効の裁決の理由とした事項は、いずれもその存在を断定するまでの証拠はない。
二、ところが被告はさらに本件選挙において第一投票所での選挙人と選挙人名簿との対照が投票立会人の面前においてなされておらないので、それは公職選挙法施行令第三五条第一項の規定に違反すると主張(訴訟の段階に至つて、従前異議に対する決定、訴願に対する裁決において判断された事実以外の新たな違法事由を主張することは、訴願と訴訟の両者が同一手続における続審的形態をなすものではなく、それ故にこそ、これを制約する規定とてないのであるから、いわゆる訴願前置主義には背戻しないし、殊に本件において被告は当初から公職選挙法施行令第三五条第一項をあげて選挙人対照確認の違法を主張しているのであるから、その主張のうちには、その手続方法における違法のほかに、そのための設備に起因する違法の主張も、一連性をもち、当然含まれるものと解せられる)し、原告らはこれに対し右法条はいわゆる訓示的規定にすぎないから、その違反は直ちに選挙の無効を招来するものではないと抗争する。しかし選挙の公明性は、はじめに投票が真正の選挙人の自由且つ公正な意思に従つてなされることによつて確保されるのであるから、真正の選挙人を選別するための手続である選挙人と選挙人名簿との対照確認が厳正に行われるように配慮することは、信を選挙につなぐためにも、選挙の管理執行機関としてゆるがせにできない事項であるといわなければならない。してみるとこの点に関する選挙法規はこれを厳格に解釈すべきであつて、かりそめにも便宜に堕するが如きことは許されないものと解するのが相当である。そこで進んで本件選挙の第一投票所における選挙人と選挙人名簿との対照確認の設備から果して被告主張の如き瑕疵が生ずるか否かを判断するに、通常投票所は役場学校等の施設内に設けられるが、当該施設の全体が公職選挙法にいうところの投票所となるものではなく、それはそのうち選挙人と選挙人名簿との対照確認、投票用紙の交付、投票の記載、ついでその投函がなされるまとまつた区劃を指称するものと解する。ところで検証(第一投票所)の結果によれば、本件選挙の第一投票所が設けられた名瀬市役所においては、玄関の張出屋根の下に金久区高森区の受付係が置かれ、玄関をはいつた事務室と市金庫間の廊下にその名簿対照係が置かれ、そこから左折し市長室と市金庫及びこれに続く市議会議長室の間の廊下を通り市議会議長室の次にある市議会事務局と廊下を挾んで相対する会議室に投票用紙交付係、投票記載所、投票箱及び投票管理者投票立会人の席が設けられており、投票立会人の席から受付竝びに名簿対照係の席は到底見透すことができない配置になつていることが明かである。しからばこのような配置はさきに述べた投票所の概念から遠くかけはなけれたものであることはもちろん、このような配置をとつた市委員会の措置は、投票立会人をして真正な選挙人に投票用紙を交付するための前提をなす選挙人確認手続を監視させ以て選挙の自由公正を担保しようとする趣旨に出た公職選挙法施行令第三五条第一項の規定に違反することは否定できない。右第一投票所においては、投票用紙交付係が投票立会人と同じ会議室に席を占め、投票用紙を交付するにあたつては、右席で選挙人が示した投票所入場券に受付竝びに名簿対照係の証印が押捺されているかどうかをよく確めた後該入場券と引換に投票用紙を交付する(証人伊東国光、山下彦好、福山実の各証言)仕組になつており、それが投票立会人から見透しできるといつても、名簿対照確認の手続自体を見透しできない以上、瑕疵は治癒されたことにはならない。このような市委員会の規定違反は選挙の自由公正に対する一般選挙人の疑惑を避けることができず選挙制度に対する信用を阻害することは免れないので、かくてなされた選挙の結果を維持することは本来許されないものといわなければならないが、更にかゝる規定違反にもかゝわらず選挙の結果に異動を及ぼす虞がないことが明かであれば格別、むしろかゝる規定違反からして少くともさきにあげた中島輝光名義の投票をなすに至らしめたものとも推認できるし、しかも本件選挙における最下位当選人と次点者二名の得票数がともに同数であることに着眼すれば、右違法は選挙の結果に異動を及ぼす具体的可能性があるものといわなければならない。しかして本件は名瀬市一二投票所中の一投票所に生起したものではあるが、さきに記したように全市が一開票区となつている以上、一の違法を他と区別するによしないので、本件選挙は結局その全部を無効とせざるをえない。
しからばその理由において差異こそあれ、本件選挙を全部無効と結論づけた被告の裁決は相当であり、原告らの本訴請求は理由がないので、民事訴訟法第八九条第九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 桑原国朝 渕上寿 後藤寛治)
(別表省略)